Frittata di carciofi.
シチリア風カルチョーフィのフリッタータ
3 uovo 卵3個
(circa 150g 約150g)
100g latte 牛乳
30g parmigiano grattugiato
パルミジャーノのすりおろし
(grana padanoでも可)
100g patate lessate 茹でたじゃがいも
100g carciofi カルチョーフィのオイル漬け(なるべく酢漬けの酸味の浅い物がよいです。)
q.b prezzemolo trittato イタリアンパセリ
q.b sale , pepe 塩、胡椒
①じゃがいもを5mm〜1cmの角切りにして塩水でゆでる。
カルチョーフィはオイル漬けならそのまま切る。
フレッシュのものなら下処理して茹でる。
(ここではフレッシュの下処理は割愛します)
②全ての材料をボールに入れて混ぜる。
塩、胡椒する。
③フライパンをしっかりと熱し、油を回して、フリッタータを焼く。
そのまま180℃のオーヴンで12分。
焼き具合は好みで調整して良いです。
☆ ☆ ☆
さてさて、個人的にカルチョーフィ(アーティチョーク)はすごく好きなイタリア野菜の1つです。
今回、カルチョーフィのことを調べ直してみたのですが、まあ謎が多いです!!
調べる資料ごとに情報が違っていて、唯一の答えには辿り着けないですが、全部を総合的にみて全体像を捉えるようにしました。
まず、カルチョーフィは元々野生のアザミで、それを品種改良した物が現在のカルチョーフィです。
原産は地中海沿岸と北アフリカ。
本によっては小アジアとあります。
ここら辺は間違いないところですね。
古くは古代ギリシャ、古代ローマ人が食べていたとされています。
その頃はおそらくまだ野生種のものを食べていたと思われます。
古代ローマの政治家プリニウスの記述によればエジプトでも食べられていたようです。
また本によってはエトルリア人が食べていた、という情報もあります。
ただ、食べていた人々の情報は本によって違っていて、美食家達が食べていた、とか卑しい人達が食べていた、不吉な事の象徴だったとか、、、。
あまりハッキリと分かりません。
とりあえず、古代ギリシャの時代には存在していた、というのは間違いないです!
ギリシャ神話の中で神々の王ゼウスが、美少女のキナラ(cynara)をそばに置いていたが、キナラが淋しくて逃げ出した事に怒ったゼウスはアーティチョークに変えてしまった、
とあります。
現在の学名であるCynaraの語源は古代ギリシャ語の「犬」に由来するそうです。棘が犬のキバに似ていたからです。
ここまでの情報によれば古代ギリシャ、古代ローマの時代にはシチリアでも食べられていた、ということになるのですが、
シチリアでこの頃から食べられていた、という記述はありません。
なので、食べられていたかはハッキリしませんが野生種のアザミが生えていたのは間違いありません。
その後、品種改良が進められたという記述もあれば、
それから非常に長い期間放棄されていた、という記述もあります。。。
何かしらの転機があったのではないかと想像できるのはシチリアの中世アラブ時代。
僕の尊敬する長本先生はアラブ人がカルチョーフィを持ち込んだとおっしゃってます。
その根拠は現在のcarciofoカルチョーフォという言葉の語源です。
それは中世アラビア語の
al-char-scho 、
al khurshuuf アルカルシューフで
それがスペインであればアルカルチョーフ、北イタリアではアルティチョッコなどと変化してきたからです。
言葉とその語源は当然、密接な関係があるのでアラブ人が持ち込んだ、という見解ですね。
9世紀にイタリアで栽培されていた、という情報もありますが定かではありません。
この後の情報もほとんど無いのですが、
中世の終わり頃にエチオピアから大量に輸入されたという記述もあります。
大きく流れが変わるのは15世紀です。
この頃からおそらく品種改良が進み、ナポリやシチリアで栽培されるようになります。
この時代から一気に食材として普及したのではないでしょうか??
イタリアの料理書で初めてカルチョーフィが現れるのは15世紀末のナポリの著者不明の本です。
16世紀になるとメッシズブーゴ、
ローモリ、
バルトロメオ スカッピ、
ピエトロ アンドレア マッティオーリ、
ローマ法王の料理チェルヴィオなどの本に登場する様になります。
1575年、フィレンツェのメディチ家での晩餐会でカルチョーフィ食べすぎ死亡事件というのも起きています。
フランスにアーティチョークを持ち込んだのもメディチ家のカテリーナだという話は有名です。